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宮崎地方裁判所都城支部 昭和50年(わ)65号 判決

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

押収してある見取図入り脅迫文二枚(昭和五〇年押第一二号の六同第一四号の二)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和一六年一月一二日本籍地において、農業を営む父緒方辰喜(当七六年)、母同スエノ(当六九年)の三男として出生し、昭和三一年三月湯浦中学校を卒業し、東京都内の大手建設で仮枠大工として約七年間稼働した後、帰郷して家業の農業に従事していたが、零細農家であつたため農業だけに頼ることができなかつたところから、昭和四六年四月ころ、同県水俣市初野でドライブイン「猪鹿」を開業し、順調に営業していたが、昭和四七年一〇月ころ、父辰喜が中風で倒れ、ついで昭和四八年四月ころ、妹ミチヨ(当二三年位)が結婚したため家業の農業が人手不足となり、また、両親の希望もあつて離農することもかなわず、結局人手のとられるドライブインの営業をあきらめざるを得なくなり、同年九月ころ、これを手放し、この間同年一月ころ、ドライブインの代りに農業と両立できる木工業の開業を計画し、同県八代市二見赤松町六五四番地の元自動車修理工場あとを借り受け、同年夏ころから機械、材料、職人等の準備をし、昭和四九年八月ころから従業員一名を雇い、マルオ工芸社の商号で自ら考案した中華料理店用のものを家庭用に改良した丸型回転テーブルの製作販売の仕事を始めた。

被告人は、前記のとおり、高齢の両親のほか長年精神病院に入院中の姉緒方ミサオ(当五〇年)、小児麻痺のため施設暮しの次兄同榮喜(当四二年)、働いてはいるが次兄同様小児麻痺のため下半身が不自由な弟同武熊(当三一年位)らの面倒をもみざるを得ない境遇のため何としても事業を成功させようと自らの結婚話にも耳をかさず、ひたすら仕事に打込んでいたが、右木工業が素人の手さぐり経営のため思惑どおりにはゆかず、製作面では昭和五〇年四月ころからようやく商品価値のある製品が出来るようになり、同年六月末までに約六〇台を製作したものの、販売面で買手と価格の折合いがつかず販売できたのはわずかに一〇台位であつたため、この間知人や金融機関からの融通資金、材料店に対する未払代金、従業員に対する未払賃金等総額約五六〇万円の負債を抱え込み、その支払に窮したところから、

第一、幼児を誘拐し、その親の憂慮に乗じてみのしろ金を交付させようと企て、同年七月三日午前八時ころ、自己所有の普通乗用自動車(昭和四三年式マツダルーチエ、熊五五ひ六七―九一号)を運転して同県葦北郡芦北町大字高岡七〇七番地の一の自宅を出発し、国道三号線を北上し、福岡県に入り、同県八女郡、八女市および久留米市内を走行しながら調査し、みのしろ金の持参場所等を指示する脅迫文を置く場所として同県久留米市内の久留米大橋北詰めの同橋下草原を、みのしろ金の持参場所として同県八女郡立花町大字兼松一、七七一番地、江嵜真平所有の梅畑をそれぞれ選定したうえ、翌四日午前八時ころ、同町大字北山八〇七番地の一江崎商店こと江崎昌一方付近の同町立立花児童公園において、所携の事務用罫紙にボールペン(同年押第一二号の五)を用いて前記のとおり選定したみのしろ金の持参場所を図示し、その親に対し子供の生命と引き換えに金員を要求する趣旨の記載をした脅迫文(同第一四号の二)を作成して準備し、これを携帯して同国道を北上し同県久留米市に至り、国道二一〇号線に入り同国道を東進しながら幼稚園や保育園を探すうち、同日正午ころ、同県浮羽郡浮羽町東隈ノ上五五九番地光教寺に至つたが、同寺には付属の御幸保育園(園長清原瑛通)があるのを認め、同寺東側通用門から境内に乗り入れて駐車したうえ下車し、同寺正門の石段に腰を降し、付近で遊戯中の三歳ないし五歳の同保育園児約三、四〇名の様子を窺つていたところ、同園児四、五名が近寄つてきたので、その親の職業等を尋ね、富裕な家庭の子供か否かを確めたうえ誘拐する子供を選定しようと考え、右園児のうち男女各一名に対し順次「僕の家のお父さんは何しとるとね」「おうちのお父さんは何の仕事ね」と尋ねて被拐取者を物色するなどし、誘拐の準備をしたが、いずれも幼児のため返答が要領を得なかつたので同保育園でのその選定を断念し、もつて、幼児の親の憂慮に乗じてみのしろ金を交付させる目的をもつて幼児を誘拐する予備をなし、

第二、同月七日午前八時ころ、父辰喜から、またも留守中に債権者が訪ねてきた旨を聞き、返済資金を捻出するためにはやはりみのしろ金取得の計画を実行するほかない旨考え、同日午前九時ころ、再び前記乗用自動車を運転して自宅を出発し、国道三号線を南下し鹿児島市に至り、国道一〇号線に入り同国道を進行し鹿児島県始良郡加治木町を経て同県道を北進し、同日午後五時ころ同郡横川町に至り同町内の富裕な家を二、三軒心当りをつけたが、その子供の確認は翌日に廻そうと考え、同町内の道路脇に駐車し、同車内で睡眠中、同日午後一一時ころ、パトロールカーで警ら中の警察官の職務質問を受けたため同町内での誘拐計画を断念し、別の機会を探そうと考え、同郡隼人町に出て国道一〇号線を北上し、宮崎県に入り、同県都城市を経て宮崎市に至つたが、その機会にめぐりあわないまま同月八日夜は同市郊外の川原に駐車して同車内で泊り、同月九日正午ころ、同所を出発し同国道を南下し引き返したが、途中良心がとがめ当初の決意がにぶり、このまま自宅に戻ろうかと思い悩んだが、他に金策のあてがないので、同県都城市内で計画を実行しようと思い立ち、同市に入つたが、長時間の運転による疲労のため一時休憩しようと考え、同日午後四時ころ、同市都北町三、五三三番地製材業ヤマワ木材株式会社と国道二二一号線をはさんで対面する植木園園田グリーンセンター内に駐車して仮眠をとつたが、同日午後五時三〇分ころ目をさましたところ、たまたま同会社と同一敷地内にある同町三五四八番地同会社社長若松和(当三五年)方から同人の長女若松八枝子(当八年)、長男若松泰裕(当六年)の両名が出て来て、しばらく同会社工場で遊んだ後再び同家屋に入るのを認め、同人らは同会社社長の子供ではないかと思う一方、同会社の表看板には「ヤマワ木材現金センター」と大書してあるのに気付き、同会社は相当の現金を有しているので同会社社長に対し子供のみのしろ金として一、五〇〇万円位の現金を要求すれば、その半額位の現金を取得することができるのでないかと思い、同会社社長の子供を誘拐しようと決意し、同日は同植木園に駐車中の同車内で泊り、同月一〇日午前七時三〇分ころ、同会社社長の子供が登校するのを待つていたところ、同日午前八時ころ、八枝子、泰裕の両名が前記自宅を出て徒歩で登校するのを認め、同車を発進させ、国道二二一号線を同県小林市方面に向け進行したところ、同県都城市太郎坊町一、八四七番地二山野原簡易郵便局先の沖水横断歩道橋を多数の小学生が横断しているのを認め、同人らも同歩道橋を横断するものと考え、同郵便局南側の農道に進入し、その付近に駐車して下車し、同農道をさらに約五〇メートル徒歩進入した沿道の畑の土手に腰を降して同人らを待ち伏せていたところ、同人らが通学先である同市立沖水小学校から通学路として指定されている同農道を同じ登校班の小学生数名と共に集団登校して来るのを認めたが、泰裕が被告人の目前を通過する際「オス」と声をかけて来たので、すかさず同人に対し「僕は元気がいいね、家はどこね」と尋ねたところ同人がそこの製材所だ」と答えたので、さらに同人と同道しながら話しかけ、同人が小学校一年生でその父親は前記ヤマワ木材株式会社の社長である旨聞き出すことができたので、ここに同人をその下校時を待ち伏せて誘拐し、その父親若松和の憂慮に乗じてみのしろ金を交付させようと企て、その間みのしろ金の持参場所やこれを指示する手紙の置き場所を選定するため同車に乗車し、同国道から国道一〇号線に出て北上し、右手紙の置き場所として同県北諸県郡高城町大字穂満坊三、二四四番地ホテル「すわ台」前入口の看板の脚下、みのしろ金の持参場所として同県東諸県郡高岡町大字浦之名字赤谷の赤谷隧通西側土手とそれぞれ選定し、同国道を引き返し、同沿線の同町大字浦之名四、三〇二番地の一五川上石油店前において、前記事務用罫紙に前記ボールペンを用いてみのしろ金持参場所を図示し、その親に対し子供の生命と引き換えに金員を要求する趣旨の記載をした脅迫文(同第一二号の六)を作成し、同日正午ころ、前記郵便局南側の農道に引き返して駐車し、泰裕の下校を待つうち、同日午後一時三〇分ころ、同人が数名の小学生と共に下校してくるのを認めたが、同人に対し、何といつて話しかけようかととまどう隙に同人が通り過ぎてしまつたが、同人を手なずけるためあらかじめ購入しておいたチユーインガムのことを思い出し、同人の後方から「僕、僕」と声をがけ、これに気付いた同人を手招きして呼び寄せチユーインガム二枚を与え、さらに同車内に誘い込もうと思つている隙に再び連れの小学生らのもとに戻つてしまつたため、自分には到底誘拐を実行できるほどの度胸はないと思い一旦は同人の誘拐をあきらめて自宅へ戻ろうと考え、鹿児島県大口市に至つたが、その途中あれこれ金策の思案を廻らしたものの、他にあてがないと思うにつけやはり当初の予定どおり若松泰裕を誘拐しようと思いなおし、同日午後一〇時ころ再び都城市に戻り国道一〇号線沿いのドライブインに駐車して一夜を明かし、同月一一日午前七時三〇分ころ、前記郵便局南側農道に駐車し、同人の登校を待ち伏せていたところ、同日午前八時ころ、同人が登校して来るのを認めたが、前同様集団登校のため下校時をねらうこととし、同日正午ころ、前記郵便局南側農道に戻り駐車し、泰裕の下校を待つうち同日午後二時ころ、同人が同級生竹之下良男(当六年)と二人で下校して来たので、泰裕に対し「おい僕、ガムをまたやるよ」と言つたところ二人とも立止まつたので、あらかじめ購入しておいたチユーインガムを一個ずつ与え、「この車に乗らんね、あんたの家まで送つてあげるよ」と泰裕を誘つたが、同人が「お母さんが迎えに来るからいい」と断わり立去つたので同車内から同人らの後姿を見ていたものの、やがて竹之下良男が泰裕と別れて脇道に入つて行き同人一人だけとなつたのを見届けるや、すかさず同車を発進させ、同県都城市太郎坊町一、八七七番地の一外園虎志方前路上で同人に追いつきその横に停車し、再び「送つてやるから乗りなさいよ」と同人を誘つたが、同人が「うちはそこだから送つてもらわんでもいい」と断わつたのになおも執拗に「そんなに言わんでもいいがね、送つてやるが」と言いながら同車助手席側のドアを内側から押し開けて誘惑し、年少で思慮の十分でない同人に乗車を承諾させて同人を同車助手席に乗車させ、これを同所から連れ去り、もつてみのしろ金を交付させる目的をもつて同人をその両親(若松和、同惠子)の保護のもとから離して自己の支配下に入れて誘拐し、国道一〇号線に出て同国道を北上し、前記のとおりあらかじめ選定してあつたホテル「すわ台」の看板の脚下に前記のとおり用意した脅迫文を置き、さらに同国道を北上し、同日午後三時四〇分ころ、宮崎市大塚町一、三六二番地日産サニー宮崎販売株式会社前電話ボツクスから前記ヤマワ木材株式会社事務所に電話をかけ、若松和に対し「お宅の子供を預つている。現金一、五〇〇万円を準備して明日の朝九時から一〇時までの間に一〇号線沿いのホテル「すわ台」に持つて行き、ホテル「すわ台」の看板の下にビニール袋があつてその中に手紙があるからその手紙を見なさい。金を持つてこないと子供を殺すぞ、ここから三時間ばかり行つたところの山の中に埋める。俺達は八人でやつている、二人がそこを見張つている。警察に言うと無線で聞いている」などと申し向けてみのしろ金を要求し、もつて、被誘拐者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて財物を要求する行為をなし

たものである。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二二八条の三本文に、判示第二の所為は包括して同法二二五条の二にそれぞれ該当するところ、判示第二の罪につきその所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で処断するが、後記量刑の事情を考慮し、被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し、押収してある見取図入り脅迫文二枚(昭和五〇年押第一四号の二、同第一二号の六)はそれぞれ判示第一の犯行を組成し、判示第二の犯行の用に供したもので犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項一、二号、二項によりこれらを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

みのしろ金目的拐取罪の法定刑は他の拐取罪のそれに比し格段に重いのであるが、それはこの種事犯がしばしば被拐取者の生命の危険を伴い、そのためその近親や社会一般の人々に与える不安と恐怖が絶大であること、およびその模倣性、伝播性が高いことによるものと言つてよい。ところで、本件各犯行はいずれも計画的かつ執拗な犯行であることは判示のとおりである。次に、本件第一の犯行は、被拐取者として物色の対象としたのは保育園で現に保育中の幼児であり、幸い予備の段階にとどまつたとは言え、これが保育の安全に与えた脅威を思うと寒心に耐えないものがある。さらに、本件第二の犯行は、未だ思慮分別の浅い小学校一年生の児童若松泰裕を通学路による集団通学の一瞬の隙をついて誘拐した事犯であり、これが児童の通学の安全に対する重大な侵害をもたらしたものであるのみならず、被告人は、前記のとおり、電話でみのしろ金要求行為をした後、同人を伴つて国道一〇号線を引き返し、途中予め選定してあつた前記赤谷隧道西側土手にみのしろ金持参場所の目印に白紙片(昭和五〇年押第一二号の九)付の細竹棒(同号の一〇)を刺し込み、同隧道先から国道二六八号線に入り、所携の全国道路地図帖(同号の七)を頼りに同日午後六時ころ、人里から遠く離れた同県西諸県那須木村軍谷国有林内の旧軍谷隧道先の吉田林業集材現場付近の山道に連れ込んで駐車し、同人が泣いたりなどしないようにさせるため所携の竹細工用の切出し小刀をそのさやを抜いて示し、同日夜は同人を同車内助手席から後部座席に移動させて一夜を明かさせ、翌日の同月一二日午前七時三〇分ころ、前記集材現場備え付けの集材機の運転席の椅子に腰かけさせ、同機をこれに備え付けてあつたテントで覆つてその下部に杉丸太を載せてこれを押えつけ、同日昼ころ父親が迎えに来る旨告げ、同人を同所に放置したまま自車を運転して同所を去り、同日午前九時ころ、前記赤谷隧道に至り、目印の場所付近を徐行しながらみのしろ金を探したが、見当らなかつたので、まだ時間が早過ぎたのではないかと思い、そのまま同隧道を通過し、同県東諸県郡綾町方面に向い途中の道路端に駐車して時間をつぶした後、同日午前一一時三〇分ころ再び同隧道に引き返したが、やはりみのしろ金は見当らなかつたので、和が警察に通報したものと思い、逮捕を恐れ、そのまま同県小林市、鹿児島県大口市を経て自宅に逃げ帰つたものであつて、右のとおり被告人がわずかに六歳の児童を遠く人里離れた奥深い山中にひとり放置したままにしたことは、泰裕殺害の意思を終始抱いたことはなく、同人の父親からみのしろ金を取得したときには同人の居場所をその父親に知らせて救出させる考えであつた被告人が、予定どおりみのしろ金を入手できず警察に通報されたと思い恐くなり自宅に逃げ帰つた結果によるとはいえ、後記のとおり、同人が万一同林業集材人夫らに発見保護されるようなことがなかつたら、同人が山中をさまよい空腹等のため生命を危険にさらしかねない危険を惹起したものというべきであり、右結果は極めて重大である。

泰裕の両親は時間どおり学校から帰宅しない泰裕の身を案じていたところ、被告人からの電話で同人が誘拐されたことを知り、あまつさえ被告人に真実その意思がなかつたとは言え、一、五〇〇万円のみのしろ金を持参しなければ、泰裕を殺害する旨示唆され、心痛と衝撃の余り一睡もすることができず一夜を明かし、一、五〇〇万円の大金を一時には用意が出来なかつたものの、子供の生命を金に代えることは到底忍び難く、銀行と相談のうえ、とりあえず五〇〇万円の現金の用意までしたが、幸い同人が救出されたため使用しないままで済んだものであつて、その間の両親の心情は他人の想像を絶するものがあつたといえよう。果して、和は犯人を厳罰に処するよう要求している。泰裕自身は、被告人の自動車に乗車した後、自宅からどんどん遠ざかつて行くのに不審を抱き、大声で泣き叫びながら「おじさんは人さらいね」などと繰返し確めていたが、当初はこれを否定していた被告人が腹立ちまぎれに「おじちやんは本当の人さらいだ」と言つたとたんぴたりと泣き止み(同人はその後前記のとおり山中に放置されるまでの間一度も泣くことはなかつた)、「何でもおじちやんの言うことを聞くから殺さないでね」と被告人に命乞いをしており、幼いながらも誘拐の何たるかを感知した同人の心情や、前記のとおり放置された山中にランドセルを背負い、こうもり傘を手にしてひたすら父親を待つ同人の心細さと不安を思うと不憫に耐えない。本件は、当時新聞、テレビ等のマスコミを通じ全国に報道されその社会に与えた影響も看過することができない。以上のとおり、本件各犯行の罪質、態様、結果、被害感情、社会的影響の重大性に照らすと被告人の罪責は極めて重いものがあるといわなければならない。しかしながら、本件第一の犯行は被拐取者を特定するまでには至らなかつたこと、第二の犯行も泰裕が被告人から集材機内に放置された後、テントの破れ目からこれを破り同機外に脱出し、付近の道路上で父親を待つていたところ、ほどなくして同日午前七時三五分ころ、出勤して来た同林業集材人夫大森一夫らに発見保護され、誘拐された時点からみても比較的短時間で無事両親のもとに戻つたこと、そのためみのしろ金を取得することもできなかつたこと、本件各犯行は、前記のとおり不遇な境遇にある親、兄弟思いで元来潔癖な性格の被告人が、我が身の犠牲をも顧みずその活路をかけた木工業の経営が多額の債務を抱えて行き詰り、資金捻出のため窮余なした犯行であり、その動機は一抹の同情を禁じ得ないものがあること、本件各犯行は計画的な犯行とは言え、泰裕の誘拐をすんなり実行できたのではなく、前記のとおり一度ならず良心との葛藤に悩んだ末のことであり、そこに被告人の元来善良な性格を看取することができること、誘拐の際やその後においても格別の暴行がなされていないこと、被告人には道路交通法違反以外の前科前歴がなく、本件各犯行についての改悛の情も顕著であること等の被告人に有利な事情も多々存する。そこで、これら証拠上認められる有利不利一切の事情を斟酌し、主文のとおり量刑する。

よつて、主文のとおり判決する。

(辻忠雄 矢崎正彦 渡辺安一)

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